2005年02月01日

SEX PISTOLS



●メンバー:

  ジョニー・ロットン(vo)
  スティーヴ・ジョーンズ(g)
  グレン・マトロック(b)(後にシド・ヴィシャスと交替)
  ポール・クック(ds)


●バイオグラフィー

 1973・74年 スティーヴとポール、そしてウォリー・ナイチンゲール(ギター)が遊び的にやっていたバンド、スワンカーズに後に正式マネージャーになるマルコム・マクラーレンのブティックで働いていたグレン・マトロックが参加。
 1975年8月 ウォリーがバンドを首になり新ヴォーカリストとしてジョニー・ロットンが参加。それにともないバンド名もセックス・ピストルズと改めた。
 1975年11月 ロンドンにあるセント・マーティンズ美術学校で初ライヴ。
 1976年9月 ロンドンの100クラブでセックス・ピストルズを中心にしたパンク・フェスティバルが行われた。クラッシュやダムドなどが出演。
 1976年10月 EMIと契約。
 1976年11月 デビュー・シングル「アナーキー・イン・ザ・UK」
 1976年12月 テレビ番組「トゥデイ」に出演し社会的不適切言葉を連発し大問題となる。
 1977年1月 「アナーキー・イン・ザ・UK」のプレスが中止された後、EMIとの契約も解除された。
 1977年2月 グレン・マトロックがバンドを脱退。新べーシストはジョニー・ロットンの友人シド・ヴィシャスに決定。
 1977年3月 A&Mと契約するがバンドのあまりにも無軌道な振るまい主原因となり、わずか10日程で契約が解消された。よって予定され既にプレスされていたセカンド・シングル「ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン」は廃棄処分となった。
 1977年5月 ヴァージンと契約。直ちに「ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン」が発売されチャートの2位まで上昇する大ヒットになった。が、チャート操作が行われなければ1位になる筈であった。というのは、この曲はBBCを始めいくつかの放送局で放送禁止となったが、チャートの1位になると自動的にBBCのテレビ番組「トップ・オブ・ザ・ポップス」に出演することになるからであった。
 1977年10月 デビュー・アルバム『勝手にしやがれ!!』を発表。予約だけで12万枚以上を集め、発表と同時にゴールド・ディスクに認定された。チャート・アクションはもちろん堂々のNo.1であった。
 1978年1月 初のアメリカ・ツアーをアトランタから始める。最終公演地であるサンフランシスコのウィンターランドの5000人分のチケットがわずか1日で売り切れる人気ぶりを見せたが、ツアー全体を通した演奏、メンバー間のコミュニケーションは冴えないものであった。セックス・ピストルズの崩壊は目前に迫っていた。14日のウィンターランドでのライヴを終えた3日後、17日にジョニー・ロットンはバンドからの脱退を表明した。それと同時にセックス・ピストルズは実質的に消えたのであった。
 
(「勝手にしやがれ!!」99年3月発売のCD・ライナーノーツ(森脇美貴夫)より抜粋、一部改変)


●ディスコグラフィー

  NEVER MIND THE BOLLOCKS(邦題:勝手にしやがれ!!)(1977)

 
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 【肥大した産業に組み込まれた旧来型ロックが、権力からの抑圧や不況による不安で閉塞状態の日常を生きる若者にとって現実感を失っていた75〜76年の英国。テク不問の表現衝動だけで破壊的な音を鳴らす彼らのシーンへの登場は、まず強烈な嫌悪と(一部の)感嘆という両極端で迎えられた。王室や宗教など既存の価値観や権威に唾を吐き、その偽善と矛盾を暴く前代未聞の過激な姿勢と、規制のルールによる制約を受けない攻撃的なサウンドは、未来への希望を持てない虚無的なキッズ達の欲求不満の捌け口、且つ代弁として支持を得た。また「自分にも出来る!」と触発された多くの若者達が楽器を手にし、パンク・ムーヴメントは一大社会現象として全英を席巻する。そしてロックは”豊かな資金と技術のある一握りのアーティスト”達の手から、ストリートへと取り戻された。ムーヴメント自体は彼らの解散以後急速に瓦解したが、そのDIY精神と革新的気概は、後のあらゆるクリエイティヴな音楽の礎となった。】

 (今井スミ、クロスビート2001年1月号より)
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